セトウツミ。
セトウツミというテレビドラマを観ました。
映画でも上映されたそうな。。。
そういえば、数年前に、、数年+数年前に、そういうタイトルのDVDをツタヤなどで見かけたような…。
ともあれ、同タイトルには複数の作品があって、映画の方は評判が芳しくないそうな。
それを知ったのもテレビドラマの方を観終わってからですが、テレビドラマの方はとても素晴らしかった。
基本が暗い、捻くれ者、マイノリティ、そしてマジョリティに対する嫌悪、そんなものが混然となっている作品です。
人間って、捻くれているから面白くないですか?
笑わないから面白くないですか?
暗いから面白くないですか?
捻くれていても、笑わなくても、暗くても、それが面白くない人間かどうかなんて、実はこれっぽっちも関係がないのです。
明るいから面白い、なんて幻想ですよ。
頭が悪ければ面白い人間ですか。
馬鹿なら面白い人間ですか。
これをアイデンティティにしている者には全否定に繋がりかねないのですが、変な顔をすれば面白い人間ですか。
不細工ならば面白い人間ですか。
僕は全くそうは思いません。
寧ろそれをアイデンティティにしている人間など、嫌悪の対象でしかないです。
そこでセトウツミですよ。
クソみたいな頭脳明晰・眉目秀麗、なロクデナシと、クソみたいな明朗快活・焼肉定食、なロクデナシが友達になるお話。
根暗は、ウェーーイなクソと友達になれないのか?
端的に言うと答えは否。
その命題に真っ向から挑んでいると言えるでしょうが、根暗とウェーーイなクソは、友達になれる。
もっと言うのであれば、孤独を共有できるのであれば、ですね。
そして更に言えば、孤独を共有できて、且つ、対等に話ができるのであれば、ですね。
ウェーーイには少し難しい話かもしれませんが、根暗の賢いやつと、根っからの阿呆馬鹿とは、友達になれません。
デリカシーの問題で。
なので、僕が国語も分からない人間と友達になれるか、と考えてみれば、概ね否。
しかし、対等に話ができるのであれば、友達になれる。
上から目線ですか?
それは違います。
だって、下手に出る友情なんてありますか?
媚びへつらって?
ご機嫌とって?
そんなもの、友達ですか?
目上の人は敬います。
友達は、対等な関係でしょう。
目上の人への信頼もあるでしょう。
例えば後輩への愛情もあるでしょう。
でも、友人は対等であるべきです。
僕はそう思います。
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