山尾悠子。
僕が今思いつく、一番美しいものの代表格です。(語弊を恐れずに言うと、一番、は感嘆符であって、世に言う一番ではないです。その一番に、限りなく等しいとは思います。)
文学も文学、純文学ですね。
僕は音楽、小説、絵画、漫画、などの文化的なものが大好きで、なんなら暗いものが大好き。
ポップで、明るくて、誰にでも受け入れられるようなものも、それはそれで好きではあるのですが、それはそれ。
山尾悠子の作品は、暗くてどろどろしていて、なんなら汚い。
とてもではないが万人に勧められるものではない。
粘液を吹き出し、顎が外れて、ぐずぐずに体が溶解する人魚なんて、不潔な歯で、かさかさの肌で、体が融解している天使なんて、だれが美しいと思うものか。
悪夢の中をさまよって、さまよって、さまよって、やっとたどり着いた場所が、まだ悪夢の中だなんて、誰が読みたいものか。
しかして、山尾悠子の作品は美しい。
誰も望まない世界で、誰も望まない形で、その世界は成立する。
その一瞬の、その世界の、どの時間の人かは分からない。
誰かの、死にたくなるほど狂おしい懊悩の最中で、彼女の(山尾悠子の)美しさは顕現する。
作品名でいうとラピスラズリが代表作であると思うのだが、ラピスラズリが代表格であると思う。
ああ、そうだ、悪夢をさまよって、さまよってさまよって、それでも美しい世界を垣間見たいのであれば、それでも美しい情景を覗き見たいのであれば、あなたはこの作品を読むべきだ。
云百頁のその中で、最後の数頁だけが異常なまでに美しい。
(恐らく)煌々と、ではなく、燦々と、と言うには余りにも静寂で、ただ、荒野に濛々と立ち込めた暗雲の間隙からこぼれ出でたような光が、美しいと思うのであれば、あなたはこれを読むべきだ。
悪夢をさまよっている時間はただただ苦しいですが、あなたには美しいと感じられる最後があると、僕は嬉しいです。
そんなあなたとは、僕はきっと、友達になれる。(と、いいな。)
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