わたしの朝は、まだ、だよ。
今日は5月6日ですね。
2020年のゴールデンウィーク最終日。
その24時前。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
(皆様、という程も誰か読んでくれているのでしょうかね。)
早いもので、この日記を始めてから一年が経ちました。
なんか去年の5月6日に始めたみたいなのですよね、過去の記事を見返すと。
この一年、なかなかにしんどかったですね。
新しい部署の仕事は面白くなってきたのでよかったですけれどね。
私生活面はというと、大阪に引っ越して一人暮らしを始めてみたり、一人でふらふらとバーに入って飲むようになってみたり、意外(自分からしても。)ときちんと生活してみたりしています。
きちんと生活していますし、きちんと仕事もしているのですけれどね。
精神面では改善されているような…、されていないような…。
そんな感じです。
一番顕著なのは夢ですね。
夜、眠る時には睡眠導入剤のおかげか、夢は殆ど見ないのですが、休日に午睡などで微睡んでいる時にはね、見るのです、夢を。
毎回毎回、毎度毎度、ご丁寧に、悪夢を見ます。
それはそれは一度の例外もなく、毎度毎回、悪夢を見ます。
だから、あんまり眠りたくないのですよね、本当は。
余りにも眠いので眠ってしまうのですけれどね。
その度に、悪夢を見て、呼吸ができなくなって、むせ込んで飛び起きるように目を覚ますのですが、目を見開いた瞬間、真っ白なんですよ、目の前が。
たまに真っ黄色だったりするのですが、大体は真っ白です。
これが異常だということは分かっているのです。
離婚してからもうすぐ3年経ちますが、未だにこんな体たらくですね。
眠りたくない、ああ、眠りたくない。
あんなに毎回苦しい思いをするのであれば、眠らない方がどれだけましか。
離婚したばかりの頃に比べたら、立ち直ってきた方だとは思いますけれどね。
寧ろ、よくぞここまで立ち直った、と思います。
でもまだまだですね。
何をしていても苦しいですから。
これが苦しくなくなるまで、立ち直った、とは言えないのでしょうね。
今回のタイトルにも引用しましたが、
わたしの朝は、 まだ、だよ。
というのは、糸奇はなの体内時計という曲の一節です。
この詞を読んだ瞬間、余りの美しさに衝撃を覚えました。
余りにも、余りにも美しかったので、こんな栞を購入してしまいました。
購入したのは随分と前のことですが、読書の際のメインの栞は今でもこれです。
(ホテルのドアの表に、掛けておくあれの形です。清掃不要です、のあれ。名前が分からない。)
40も手前のおっさんが、こんなにも可愛らしい栞を使っているだなんて、余り表立っては言えませんが。
でも、詰まりはそういうこと、なのです。
僕に、この苦しさの夜明けは来るのでしょうかね。
そりゃまあいつかはね。
来るのでしょうね、苦しくなくなる時が。
でも今は、
わたしの朝は、まぁだだよ。
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