それってなんてディストピア。
ケムリクサというアニメを観ました。
端的に言ってしまうと、ド直球のディストピア物ですね。
一見、人類が滅んだ後の未来のように見えますが、その通りです、多分。
ケムリクサってなんなの?とか、そんなことはどうでもよいのです。
あれは舞台装置。
お話を成立させる為の便利グッズです。
そしてその便利グッズのアイデアが根底にあり、お話が作られている(気がする)。
未視聴の方には何のことか分からないように書きますが、彼女達が彼に惹かれるのは、彼女達が彼女であることの何よりの証明だ。
ある意味では、この物語りでは、彼女達だけが人間で、大事な記憶もないのだけれど、彼に惹かれるということは存在意義に関わる。
恐らくは世界の端っこのディストピアの真ん中で、自分達の存在する理由も(隠されて)分からないまま、彼女達は終わりを迎えようとしていた。
記憶というものは残酷で、例えばあの子の温もりであったりだとか、柔らかな笑顔であったりだとか、朗らかな談笑であったりだとか、二度とその手にその目にその耳に感じることのできない幸せを、いつまでもいつまでも思い出してしまったりする。
知らなければ辛くなかったのに、知らなければ不幸ではなかったのに、知って仕舞えばお仕舞いなのです(その記憶は)決して消えては呉れないのです。
だから隠したのです。
彼女達が存在する理由を、その訳を。
もう二度と感じることのできない幸せを取り戻すことが彼女達の存在理由であり、存在意義だったから。
取り戻すことが不可能だったから。
ということでありまして…、
ということはですよ…?
これは、明確に奇跡のお話。
二度と、決して、目の前に現れることがなかったはずの、幸せを、二度と、決して、取り戻すことができなかったはずの、幸せを、取り戻すお話です。
それってなんてディストピア。
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